連載してる時にだいたい読んでいたのですが抜けがあるなぁと思って。
面白かったです。やはり最後の最後あたりが抜けていました。
最後どうなったっけ?というか最後を見ていなかったパターンでした。
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事前に述べておきますが「かたわ少女」には性的描写を含む為、年齢制限があります(今回年齢制限のかかわる内容は含みませんが)。
また、気を付けはしますが今から書く内容に不快感を覚える可能性があります。
特に「かたわ」という単語に過剰な反応や障害の字に議論を持ちかけたくなる方はブラウザバックしてください。
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それでなんで急に全巻買ってきたかと言うと、私が作りたいと思っていたものの中に障害者が主体となるものがあったからです。
それで「聲の形」はだいたいやりたい事をやってくれていて、そちら側の内容で私が新しく何か作るのは難しそうになりました。
と、いうと何か色々語弊を生みそうなのですが・・・。
かなり前に一度色々調べた際は「かたわ少女」というゲームが作成されているというあたりだったかと思います。
「かたわ少女」は身体障害をもつキャラクターが多く登場するノベルゲームです。
障害を前面もってくるなんて何かにてるなぁでもたぶん自分の作る方向と違うなぁと言う感じで思ってました。
内容を別にしてこれの面白い事はこのプロジェクトが立ち上がるきっかけが日本の同人誌である事。
そしてそれが逆に日本まで届く形である事。
その為、設定が日本だったりキャラ名が日本風であり、(海外では血液型占いとかはあまりないが)キャラづけに血液型を利用していたりする。
(性的表現については賛否あり、それは影響が大きいとしてスキップ機能がある。※ただし、そこまでであれが駄目・これが駄目の指示に従うものではない。)
今検索したところ「かたわ少女」のプロジェクト開始が2007年みたいなので、私がプロットを練ってた時はそれより後で、(初出・読み切り?)「聲の形」がマガジンに『別冊少年マガジン』2011年2月なのでそれより前あたりっぽいです。
そもそも、なんで障害者をヒロインにとか考え始めたの?って所なんですけどぱっと特徴あるヒロインを生み出せなかったからって所が大きいですね。
何らかの特別(それが良いもの、悪いもの関係なく)を持つというのはそれだけである程度の設定・・・ひいては内容の肉付けになるので。
ラノベとかではその特別ていいうのが「能力」だったり「魔法」だったりするのでしょうけども、もうちょっと身近な「何か」という感じです。
まぁ、それでどんなものを作ろうとしていたとかの話ですが、Nスクが触れたのでまぁ短めのゲームの予定でした。
かたわ少女は身体障害を持つヒロインが数人いる様でしたが、私に人数を描くだけのシナリオは無理だとして、ヒロインは一人。
また、身体の欠損を描くには直接的すぎて(表現的に重い)、難しいと思い見かけ上身体に異常がわからない範囲での設定予定でした。
その為「喋れない」か「聞こえない」が初期案、次に「見えない」パターンや、見かけ上は分からないが体の一部部位が動かないと言った感じ。
ただ、体が動かない事で車いす等は割とライトな表現で、意思の疎通で苦労する感じの内容を描きたかったので(話を膨らませるだけの力が無かったとも言う)身体が動かないとパターンはやめました。
それで後にでたもう一つの「見えない」パターン、この場合意思疎通には手に書く場合や専用の手話に触れてもらって意思疎通するなどがありましたがこちらは先ほどと逆に難しすぎるかなと。
結局初期に戻り、「喋れない」か「聞こえない」側がほぼ確定。
最初は筆談を行い、主人公が手話を覚える事でヒロイン側に寄り添う展開を予定していました。
筆談であれば相互の意思が間違いなく通じ、そのひと手間は程よい距離を生み出し、それは一つの壁でありそれを取り払う事が必要になる。
手話という会話はある程度の距離でも有効で使いやすく、「より早く」「より正確」に「意思」が「気持ち」が伝わりやすくなっていく展開というのはかなり良いのではと。
それとゲームなので選択肢に手話を入れる予定でした。
いっそのこと手話を覚えれる恋愛ゲーみたいな、ただ流石にシステムを組むのが大変かなとは思いますが・・・それでもやればできなくはないと思う。
これは最初普通の選択肢が、(ある程度妥協して簡単な)手話の選択肢が混ざるようになる事でプレイヤー側が近づく感覚になればと思ったのですが・・・まぁやっぱり難しそう。
それと同じ理由で立絵をなめらかにとはいかないまでも手話の動きをさせれればと思っていました。
後は手話に対して文章ではいれるものの多少足りない箇所を作り、手話の動きに対してプレイヤーが今の手話はなんて言う意味なんだろう?といった感じ。
たとえば序盤で筆談で会話終了しわかれる際に手話で「またね」の動きをさせる。
それで、ヒロインは気づいたように止めて、手をふって「バイバイ」と主人公に解り易い動きにする。
話の展開上しばらくするとその動きが「またね」だとわかる等。
この時はたぶん「動かすのいいなぁ」と「無理じゃない?」があたまでぐるぐるしてた気がする。
余りに動くなら出力するコンテンツをゲームではなく映像作品でもいいんじゃない?とか。
最近のゲームのように立絵が3Dで会話でなめらかに動かせればベストだなぁとか。
最初「聲の形」を見た時に「これは・・・」と思いました。
序盤のなかなかえぐい感じの内容程ではないですが、障害における差別な部分や手話を覚えて寄り添う展開とか。
不協和音になる状態のヒロインが「はたして主人公を一緒にいていいのだろうか?」という葛藤とか。
一度やってみたいなぁと思っていた事がだいたい入っていて、私が組み立てにふわふわした箇所も良くおさえられていて「・・・良いな」と。
勿論私が作ったとしてももっと残念な事になる気はしますが「作りたいものを作る」というのは割と普通な思考でしょう。
ただ「無いなら自分で作ればいい」という感覚は、逆に欲しいものがそこにあってやりたかった事が大体できた作品があるなら、「それでいいんじゃないの?」という事で、もう蛇足に蛇足をつくような感じがしてもう満足しちゃった感が大きいのです。
それが前文側の「そちら側の内容で私が新しく何か作るのは難しそう」なのです。
アニメ化もするみたいなのでそうなると私の動かしたい欲まで満たされて万々歳。
他に障害者を含む作品は少々デリケートで無理に踏み込んでいかなくてもいいのではという感じもしてもういいかなと。
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前者はもう馬鹿みたいに作品がありますが自分ならこうかなというものです。
後者はちょっとした考えの元にできるならちょっとやってみたい事というか長期的なコンテンツが持続できるか的なものです。
ありていにいえば、前者が完結を考えているのたいして、後者はだらだらやる用と言ったところです。
ようは・・・最終的に「面白いものや面白い事が何かできればいいな」という事なんでしょうけど。